2022~2023年に北海道で発生したササの一斉開花・枯死が生き物たちにどのような影響を及ぼすのか考えてみました。
株式会社エコニクス 自然環境部
陸域担当チーム 神 昌行
私は植物分野のコンサルタントとして、北海道の野山を主なフィールドに日々植生調査を行っています。調査では、道なき道をひたすらにササ藪を漕ぐ機会も多く、近年は夏の暑さが加わり、極めて過酷な調査を強いられています。正直に言うと私のササに対するイメージはあまり良いものではありませんが、ササは古くから食品、日用品、工芸品などのほか、七夕やササ船など文化的な用途で活用される私たちの生活にかかわりが深い植物でもあります。
さて、山に行けばどこにでも生えているササですが、近年、北海道各地で発生したササの一斉開花・枯死が大きな注目を集めています。
ササは、1回開花型(一生のうちに1度だけ開花し、その後枯死してしまう性質)の多年草で、通常は地下茎による栄養繁殖を行っています。この性質は他の植物でもみられ珍しいものではありませんが、ササの場合は数十年から百数十年に一度だけ開花するという極めて特異な生態を有し、この一斉開花・枯死のメカニズムについては解明されていない点が多く、謎に包まれた植物です。
このようにササの一斉開花・枯死は、『一生に一度、見ることができたらラッキー』な自然現象ではありますが、極めて希な現象な故、生態系や私たちの生活に対してどのような影響があるのかについては、まだ良く分かっていないのが現状です。
参考までに、北海道で近年起こっているササの一斉開花・枯死に関する情報を以下に整理しました。
今回一斉開花・枯死が見られたササは、北海道に複数種生育しているササの中でもクマイザサ系のササです。ここで「系」と付け加えたのは狭義のクマイザサだけではなく、植物分類学上でクマイザサが属するチマキザサ節のササとチシマザサ節のササの交雑種も含まれていることを示しています。2022年から2023年にかけてみとめられた一斉開花・枯死は、渡島半島北部から宗谷岬付近、天塩山地周辺などで広範囲で発生し、ほとんど開花が確認されなかった石狩低地帯を挟んで北海道の南西部と北東部にエリアが二分されています1)。
写真a 渡島半島北部におけるササの一斉開花・枯死の状況(2024年5月撮影)
※枯死したササの茎が目立つ。
写真b 石狩低地帯におけるササの生育状況(2024年8月撮影)
※ササの一斉開花・枯死はみとめられず、ササの高さは1.5m程で密生している。
青森県(八甲田山)で発生したチシマザサ群落の一斉枯死後のササの回復過程を調査した研究では、一斉枯死後、枯死前の状態に回復するのに少なくとも30年以上の年月を要する可能性がある2)ことが報告されています。このことから、ササの一斉開花・枯死による影響は短期的なものだけではなく長期に及ぶものと推察されます。
たとえば、ササ単体あるいはササ草原(林床を含む)を生息・生育環境として利用している動植物にとっては、棲み家や餌を失うことを意味しますので、その地域での個体群の存続に関わるきわめて深刻な問題です。その一方で、ササへの依存度が低い、あるいはササの繁茂により生息・生育を制限されていた動植物にとっては、生息・生育地を拡大させるまたとないチャンスでもあります。
北海道ではエゾシカの増え過ぎによる生態系や農林業への被害が深刻化していますが、エゾシカの生息数の動態には餌資源制限や冬季の気象条件(積雪深)が密接に関係していると言われており3)、餌が少なくなる冬季には、冬でも緑葉を保つササの存在が個体群の維持にとても重要です。
参考までに、北海道におけるエゾシカの推定生息数4)についてみると、2023年度の生息数は北海道東部と西部を合わせて73万頭と推定されています。2018年度から緩やかに増加傾向を示しており、過去最も多かった77万頭にあと数年で到達する勢いです(図)。また、2016年度を境に北海道東部と西部の生息数が逆転しており、ここ数年では西部地域の生息数の増加が顕著です。
図 エゾシカの推定生息数の推移
北海道環境生活部自然環境局(自然環境課・野生動物対策課)のページ4)における公表資料より作成
さて、今回ササが一斉枯死した地域とエゾシカの生息数が増加した地域が重なる地域では、この冬どのようなことが起こるのでしょうか?
エゾシカは、冬期間の餌が乏しい時期は、ササのほかオヒョウやハルニレなどの樹皮などを食べて飢えをしのいでおり、積雪によりササの葉が雪に埋もれてしまう厳冬期には樹皮などに対する依存度が増大します5)。これらのことから、一斉枯死によりササが消失した地域では、積雪深に関わらず餌の量が不足するため、樹皮などへの依存度が高くなり、より深刻な森林被害をもたらす恐れがあります。また、さらに餌不足が進行すると、より越冬環境が整っている他の地域への分散や、餓死や繁殖力の低下などにより地域的にエゾシカの生息数が減少する可能性もあります。反対に、一斉枯死の影響が無かったかのように、深刻な森林被害も生息数の減少も起こらない可能性もありますので、エゾシカの生息数や分布がこの先どのように推移していくのか、とても気になります。
今回はエゾシカとの関連について考察しましたが、このような現象が今回ササの一斉開花・枯死がみとめられた地域に生息・生育するあらゆる動植物の間で起こっており、しばらくの間は混乱した状態が続くかもしれません。この混乱は、自然界のみならず、自然界からの恩恵(生態系サービス)を受けて成り立っている私たちの生活にも少ならず影響があることは容易に想像できます。
今回のイベントを機に、ササの一斉開花・枯死のメカニズムや、それによる生態系や私たちの生活に及ぼす影響についてさらに研究が進むものと期待しています。私自身も、自然環境を相手にする一技術者として、これからも関心を持って見守っていきたいと思います。
<参考資料>
1) 明石信廣(2024):渡島半島から宗谷岬まで:2023年北海道におけるクマイザサの一斉開花.日本生態学会講演要旨
https://www.esj.ne.jp/meeting/abst/71/W21.html
2) 蒔田明史(2013):ササの不思議な生活史-開花習性を中心に-.森林科学,69,pp4-8
https://www.forestry.jp/content/images/2021/10/69.pdf
3) 梶光一(2005):エゾシカの個体数変動と空間分布.第57回日本衛生動物学会大会要旨抄録集
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmez/57/0/57_0_1/_article/-char/ja/
4) 北海道環境生活部自然環境局(自然環境課・野生動物対策課)のページ
https://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/skn/
5) 南野一博(2008):エゾシカは多雪地でどのように越冬しているのか?.光珠内季報,148,pp15-18
https://www.hro.or.jp/upload/4131/kiho149-4.pdf