株式会社エコニクス
環境事業部 泊担当チーム 坂本 和佳
海の中の植物(藻類)が生長する上で不足しがちな元素を栄養塩といいます。窒素(硝酸塩亜硝酸塩・アンモニウム塩)、リン(リン酸塩)、ケイ素(ケイ酸塩)の塩を主要栄養塩(Macronutrients)と呼び、藻類が生長する際、大量に必要とする元素です。
冬の間、海の表層は外気により冷やされ、その水は深層に沈み込み、栄養塩を豊富に含んだ深層水が海面に押し上げられま す。表層と深層の水塊が混合することにより植物プランクトンに必要な栄養塩が表層に供給され、春に日照時間や気温などの条件が整うと、植物プランクトンの 大増殖が起きます。陸上の植物が春に一斉に芽吹くのと同様に、海の中でも植物プランクトンが大量に芽吹くのです。この現象をスプリングブルームと呼び、海 の基礎生産において重要な現象となります。
しかし近年、栄養塩濃度が十分であるにもかかわらず、植物プランクトンが少ない海域(High Nutrient Low Chlorophyll:HNLC海域)が存在することが報告されてます。これは海中に微量に存在する鉄(微量金属)の涸渇によって、植物プランクトンの 生長が制限されているのではないかと考えられています。
鉄は植物プランクトンの光合成系や呼吸系における電子伝達、硝酸・亜硝酸還元、クロロフィルの生合成などに重要な役割 を果たします。西部亜寒帯太平洋のHNLC海域でおこなわれた大規模な鉄散布実験(SEEDS 2001など)では、鉄を散布しただけで数日にわたり植物プランクトンの増加が確認されました。
下図に水酸化鉄(Ⅲ)のpHに対する溶解度の関係を示します。Fe(Ⅲ)(3価鉄)という物質は海水のpHである8前後で溶解度が最小値を示すことがわかります。
図 水酸化鉄(Ⅲ)とpHにおける溶解度の関係
(水酸化鉄(Ⅲ)の溶解度平衡定数より作成;Ksp=-38.7)
従って、海水中のほとんどの鉄は3価の粒状態の水酸化鉄として存在し、その溶解度および溶解速度は極めて小さいことから、粒状態の水酸化鉄は植物プランクトンにとっては利用しにくい形態となっています。
それでは、海水中に十分とはいえない量の鉄を植物プランクトンはどのように補っているのでしょうか。その答えの一つとして、溶存有機錯体鉄を介在した鉄を利用していることが考えられます。
沿岸域での溶存有機錯体鉄の生成には腐植物質の存在が大きく関わっており、鉄は河川水中でそのほとんどが腐植物質(主 にフルボ酸)と有機錯体鉄を形成しています。腐植物質は枯葉などがバクテリアによって分解を受ける際に生成される物質で、この腐植物質が鉄と結合し、溶存 有機錯体鉄として森林から河川を通じて沿岸域へ供給されます。一方、外洋域の場合、生物起源粒子の分解過程で生じた有機錯体と鉄の循環機構が働いているも のと考えられています。
溶存有機錯体鉄の場合、海水中で利用しにくい形態へ変化することはなく、植物プランクトンのニーズに見合った利用しやすい鉄と言えるのです。
植物プランクトンによる鉄の取り込みや溶存有機錯体鉄については研究が進んでいるものの、その詳細については未だ不明なことが多いのも事実です。極微量しか存在しない金属類が地球表面の7割を占める海の基礎生産を左右しているとは、何とも不思議な感じがします。