株式会社エコニクス
環境技術部 水域環境グループ 大湊 航一
近年では「環境教育」という言葉をよく耳にしますが、野外における体験を通して私たち大人が子供たちに伝える課題・・・「自然とは何か、自然はどうあるべきか、そして人間はそれにどう接するべきか」は、実はかなり以前から今とは異なる方法で子供たちの「ココロ」に伝えられてきました。
「公害」という言葉が囁かれてきたのは昭和30年代の後半、日本が高度成長期の真っ只中にあった頃ですが、公害問題として提起されるようになったのは昭和45年、東京都杉並区の学校で光化学オキシダントによる集団被害が発生してからです。翌年、東京都教育庁により小学生低学年に向けた公害対策の副読本などが発行され、子供たちを対象とした公害の教育、ひいては現在の環境教育の根源となる指導が開始されますが、公害の恐怖をいち早く子供たちに伝えたのはテレビのヒーロー番組でした。
昭和46年1月2日にフジテレビ系列で放送が開始された「宇宙猿人ゴリ」は、大量生産と消費により形成される公害社会に警鐘を鳴らすテーマが盛り込まれ、当時のテレビ番組としては、ニュース番組以上に痛烈な社会批判をうたったハードな内容でした。敵役である宇宙猿人ゴリは、地球を公害で汚す人間たちを許すことができず、公害怪獣を作成して人間を滅ぼそうとします。遊星ネヴュラ71から派遣されたスペクトルマンは人間を守ろうとするのですが、人間の「身から出た錆」である公害は次々と新たな怪獣を生み出してしまうのです。
この番組は、当時人気のあった「帰ってきたウルトラマン」に視聴率では及びませんでしたが、そのテーマは当時の子供たちと一緒に視聴した大人たちに伝わり、昭和47年3月25日の終了まで実に全65回が放送されました。
「悲しい事に大人達はきれいなモノと汚いモノとの区別がだんだんとつかなくなってきてるんだ」というセリフは当時論議を呼びましたが、このセリフを聞くと、現在の環境教育においてもまずは私たち大人がどういった視点に立つか、が重大な課題であると思えてきます。